八犬伝物語
日本児童文庫 八犬伝物語
土田杏村訳
はしがき
『八犬伝』の本の詳しい名前は、『南総里見八犬伝』と申します。徳川時代の末頃に生きてゐた滝沢馬琴のかいた有名な小説です。馬琴はその他にも沢山の小説を書きましたが、この八犬伝がまづ最も有名だといつてよろしいでせう。馬琴が四十八歳の春にその第一冊目を出し、それからずつと筆をつゞけて七十五才の時におしまひの本を出しました。その間二十八年かゝつてをりますが、これだけ長い年月の苦心によつて出来上つた小説も珍らしいでせう。だん/\おしまひに近づく頃馬琴の眼病がひどくなり、つひには全くの盲目になつて、自分で字をかくことも出来なくなりましたから、口でいひ息の嫁に筆記させて、まだ小説をつゞけてゐました。全体で百六冊あり、大へんの大きさです。おそらく私のこの物語の何十倍かあるでせう。その大きな小説の話を、この一冊に縮めてかいてみました。
土田杏村
目次
八房の手柄………………………………………三
伏姫の死……………………………………………一五
番作と蟇六…………………………………二二
村雨丸の銘刀…………………………二七
円塚山の寂寞道人………三四
芳流閣上の捕り物………………四六
胡那屋の客人………………………………五六
小文吾の難儀…………………………………六六
親兵衛の神隠し……………………………八〇
庚申塚の四犬士…………………………八八
刀を売る浪人…………………………九九
犬山道節の復讐……………一〇八
炉を隔てた敵………………………………一一三
音音の茅屋…………………………………一二五
嵐山の名笛……………………………一三七
馬加大記…………………………………………一四六
対牛楼の女田楽…………一五三
庚申山にすむ魔物……………………一六七
大角の山猫退治…………………一七九
指月院に籠る人々………一九○
相模小僧の勇戦……………………一九五
大樟樹の空洞……………………………二〇六
伏姫に養はれた神童………二一八
白川山の虎退治…………………二二七
里見家の八犬士………………………二四一
扉
八犬伝物語
扉裏
装 幀・恩地孝四郎
口絵挿絵・水島爾保布
1
八房の手柄
2
太平洋へ長く突き出てゐる安房の国のとある海岸、そこへ落人をのせてよつて来た一艘の小舟がある。
3
乗つてゐる主従三人。主人の里見義実はその頃まだ又太郎御曹司とよばれてゐたが、父の里見季基は、結城氏朝と共にその主鎌倉管領足利持氏の残して置いた子供、春王、安王を奉じて結城城に立て籠り、いさぎよいいくさをして、城の落ちる時に戦死をしたのだ。又太郎義実は父のかたいいひつけで、戦死することをやめ、日頃仕へて来た老臣の杉倉木曾介氏元、堀内蔵人貞行だけを従へて、かこみを斬りぬけ、舟を見つけ、こゝ安房の国へ遁れて来たのだ。
4
その頃安房の国には、三人ゐた領主の安西氏、麻呂氏、神余氏のうち、神余氏はその家来のために打ち滅されて、安西景連は館山の城に、麻呂信時は平館の城に領主となつてゐた。里見義実は、ひとまづ安西景連を頼つて行かうと思つた。景連は力は強いが、道理のわからない領主である。欲張り一方の麻呂信時と相談し、よい加減に義実をあしらつて、
「この三日の間に鯉を釣つて来るものならば、助けいくさをしよう」
などといふ。安房の国の川には、何故か鯉がすんでゐないのだ。
5
義実はそれでも釣りの道具を持つて、川のほとりで釣りをしてゐる。ふと見ると、乞食のようななりをした汚い男が、唄をうたひながらふら/\とこちらへやつて来た。唄をきけばどうやら自分のことをいつてゐるようだ。乞食は義実の笠を覗き込んで、
「殿は何を釣らうと思し召すか」
と問ふ。
「や、鯉をお釣りでござるか。鯉は、安房の国の川にすむことが出来ぬと見えますわい。いかに里見の御曹司でも、安房の国へまゐつては、身を寄せる城を持たぬと同じことでございませうぞ」
と面白そうに笑ふ。その言葉に義実主従は驚いて、油断せず乞食の方を見かへすと、乞食は急にうしろへ下がり、土の上に平伏して、
「然らばやはり里見の御曹司でございましたか。かく申す私は、神余光弘の家来、金椀八郎孝吉と申すものでござります」
といふ。さて金椀ののべる話は、次ぎのようなものであつた。
6
神余光弘は滝田の城に住み、安西、麻呂と並んで安房の領主であつたが、わるい家来の山下定包を重く用ひた。定包は、主人の光弘のお側につかへてゐるわるい女の玉梓と相談をし、主人を殺し城を奪はうとたくらんでゐた。その定包のわるいたくらみを知り、定包を殺さうと思つてゐる外の家来や百姓もある。ある時定包は光弘にすゝめて鷹狩りに出たが、途中で自分の馬を主人にすゝめる。馬をめあてに定包を殺そうと思つてゐた忠義の百姓達は、間違へて主人の光弘を殺してしまつた。定包はそれをよいことにし、主人の城を奪ひ取つて、自分が滝田の領主になり、玉梓を奥方にしたのである。
7
金椀は、その殺された神余の家来である。金椀は義実にすゝめて定包を攻め、主人の仇をむくいたいと思ふのである。滝田の近くには昔の主人の神余を慕つてゐる百姓達もあるから、金椀はいろ/\と謀を立てゝ、その百姓達をあつめる。義実は大将となつて、急に滝田の城の分れである東条の城へ攻め寄せ、一晩のうちに攻め取つた。さて次ぎに定包の立て籠つてゐる滝田の城へ打ち寄せ、これも相当に骨を折つて、攻め落してしまつた。
8
定包は自分の家来に裏切りせられ首を取られたけれども、奥方の玉梓は生け捕りにせられた。玉梓は金椀に頼んでいのち乞ひをした。
「もとより私に罪はございませうが、女の私を殺して何のやくに立ちませうぞ。許されさへすれば、私は故郷へかへらうと思ひます」
と頼んだけれど、主人の神余が滅ぼされたのも、もとはといへばこの女の謀からであつたとすれば、金椀は玉梓を助ける気になれない。義実に「ぜひぜひ」と申し上げて、玉梓を殺すことにした。玉梓は、
「これほど頼んでもきかれないものならば、殺しても見よ。いづれ怨みは晴らしませう」
と。ものすごい目で義実や金椀をにらみながら、美しい首を打たれた。
9
義実は、今度のいくさで手柄のあつたものにそれ/゛\、褒美を取らさうとする。なんとしても金椀の手柄が第一である。その上金椀は神余の家来といふものゝ、もと/\神余の一族でもある。この人に誰よりもあつい褒賞を与へようとすると、何を思つたか金椀はその褒賞を受けようとしない。いや、それどころか、ふいに腰刀をぬいて自分の腹へつき立てた。
10
義実の家来は驚いて金椀のまはりへかけつけ、切腹をとゞめようとすると、
「いやこれには深いわけがござる。定包を打ち取るつもりで、かへつて間違つて主人の神余を殺したものは、この金椀の昔の家来達でござつた。その罪を償ふためには、この金椀はこれで切腹しなければなりませぬ」
といつて、刀をなほも深く突き立てるのである。その時義実は、隣りの部屋から家来に一人の子供をつれて来させた。
11
この子供は金椀の子であつた。金椀が自分の家に仕へてゐた一作といふ仲間の家をたより、その一作の娘と夫婦になつて住んでゐた時に生れたのが、この子供であつた。その後金椀は、主人の讐をむくいるために方々をかけ廻つてゐたので、一作の家へ帰ることもない。今金椀が義実の助けで定包を攻め滅ぼしたことが一作の家へも聞えたので、その子をつれてたづねて来たのだ。
義実は金椀に向ひ、
「金椀、そちの手柄はそのまゝ子にゆづり、この子の大きくなつた時に東条の城を譲らうと思ふぞ。この子には金椀大輔孝徳といふ名を義実がつけようと思ふ。そちは安心して死ぬがよい」
といふ。金椀が息を引き取らうとする時、義実はさきに玉梓の死ぬときにいつた言葉を思ひ合せてゐた。
12
滝田の城が義実に攻め滅ぼされて間もなく、麻呂の城の平館は安西に攻め滅ぼされ、今では安房には滝田の里見義実と、館山の安西景連とだけが領主としてあるようになつた。
13
しばらく戦もなく、義実は上総椎津の領主の息女を奥方として迎へ、長女の伏姫を生み、次ぎの年に男の子、二郎太郎を生んだ。二郎太郎は、後に安房守義成とよばれる人である。
14
伏姫は生れて間もなく、夜も昼も泣いてゐてむづかしい子であつた。もう三歳になるけれど、ものをいはない。その頃安房に州崎の明神といふ社があつて、そのうしろに役の行者の石窟があつた。義実の奥方はこの石窟へ家来を参詣にやつて、伏姫の立派に成人することをお願ひしてゐたが、ある日伏姫は参詣の途中で、八十ぐらゐの老人に逢ひ、その老人より水晶の数珠を貰つた。
「この子は生れながらに不幸がつき纏つてゐるから、この数珠を取らせよう。この子は不幸であるが、その後、この数珠の助けで、里見の家にまた幸福が来るであらう」
と老人はいつて立ち去る。役の行者が、この老人の姿を借りて出現したのであらうか。数珠の八つの大きな玉には、一つ一つ仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌といふ立派なわけのある言葉の、一つ一つの文字が刻まれてゐた。それより後伏姫は立派に成人して、もう十一二歳になつた時には、日本や支那のむづかしい書物などをさへ読むようになつた。
15
その頃のことである。長狭郡の富山といふ山の麓に技平といふ百姓がゐて、その家の犬が牡の仔犬を生んだ。たゞ一匹だけ生れた仔犬であるから、からだも大きく骨もたくましい。七日ばかりたつた夜、狼がはひつて来て、その母犬を喰ひ殺した。さて技平は野良の為事に出るので、食べ物を与へることなども不便がちであるけれど、犬は餓ゑた様子もなくすく/\と大きくなつて行く。これはたゞごとではないと、よく見てゐると、夜滝田の方から鬼火のようなものが飛んで来て、さてそのあとで年のいつた狸が仔犬のところへはひつて来、仔犬に乳をやつてゐるのだ。仔犬はこの狸を母にして、大きく育つて来たのである。
16
このことがあたりの評判になつてゐた。里見の老臣の堀内貞行は、東条の城を守つてゐて、滝田の城へまゐる途中この話を聞き、珍らしいことだと思ひ、義実へ申し上げた。義実は、「さうした強い犬ならば、伏姫の番をさせるに何よりよからう」と、技平にその犬を献上させて、八房といふ名をつけ、寵愛した。牡丹の花に似た毛色が美しかつた。伏姫も昼となく夜となく、その八房をそばに置いて寵愛し、八房と友達になり遊びながら大きくなつて行つたのである。
17
館山の城主安西景連の領地では、ある年不作で百姓達が苦しんだ。里見義実は情深い領主であつたから、安西の百姓達の苦しんでゐるのを気の毒に思ひ、米五千俵を安西に貸してやつた。ところが次ぎの年には、安西の領地では豊作であるけれども、里見の領地では大へんの不作である。義実は別段貸した米を催促するつもりはないけれど、安西が今度は多少米を貸してくれないものでもないと思ひ、まだ二十歳になつたばかりの金椀孝徳を使者として、安西の城へやり、そのことを頼んで見ると、安西はこのをりに里見を打ち滅ぼし安房一国を領地にしようといふ悪い考へを立てゝ、金椀孝徳をそのまゝ俘虜にし、二千余騎の軍勢を集めてふいに滝田の城へ攻め寄せた。
18
金椀は俘虜になるような男でもないから、安西の城を破つて外へ遁れ出た。一方滝田の城では、安西にふいに攻められて城を防ぐ準備もなく、第一不作のために兵糧の支度が出来てゐないから、城兵はたべるものが十分でなくて、このまゝでは城は攻め落されるより外に致し方がない。里見義実も、もうこの上は安西の軍勢の中へ打つて出て、打ち死にしようと決心した。
19
鎧をつけた義実がもう斬り死にと覚悟をした目でふと前を見ると、愛犬の八房が、これも心配そうにそこにうづくまつてゐる。
「この八房が敵の首を取り得るものならば、一同どんなにか悦ばしく思はうに。犬ながらも、手柄は第一として、望みのものを与へようぞ」
と冗談ながらに犬の頭をなでると、犬は元気そうに頭をあげ、今にも敵陣へかけ出しそうである。
「八房はなにが望みであるぞ。魚肉か。領地か。息女の伏姫かな」
と冗談ながらに犬の頭をなでると、伏姫といふ時犬は嬉しそうに尾を振つてゐる。
「さうか。八房も伏姫の婿になりたいと申すか。敵将景連の首を取つて来るものならば、八房でも伏姫の婿にしてつかはさう」
と義実がいへば、八房は一層元気そうに尾を振つてゐる。
20
その夜義実は、士卒をあつめ、今宵限りの別れに、酒もない水だけの酒盛りを開いてゐると、ふいに物すごい息を立てゝ飛び込んで来たものがある。
「や、や、殿。八房が景連の首を取つて来ましたぞ」
と、驚きながらあげた家来の声に、義実も目をこらして見れば、いかにも八房の口には血まみれになつた敵将の首がくはへられてゐる。その時敵陣の方でも急に騒々しくなつて、大将を失つた安西の軍のうろたへる声が聞える。義実は軍勢を率ゐて打つて出で、大将のない安西の軍を縦横に斬り立て、大勝利を占めた。
21
伏姫の死
22
安西が滅んで見れば、安房一国は里見のものである。里見の家は、これから万々歳といつてもよい。ところがその里見の家にも一つの難儀が起つてゐる。今度のいくさに第一の手柄を立てたものは、なんといつても八房であるが、義実は八房にいつた約束をどうするであらうか。義実は、手柄を立てた犬を大事に思ひ、犬養の役人までつけて可愛がるけれども、八房はそれでは少しも嬉しそうな顔をしない。日に日に機嫌をわるくして、家来たちの手にをへないあばれ方をするようになつた。ある日家来たちが八房を追つ立てゝゐると、八房はおこつた勢ひで伏姫の部屋へ走り込み、姫の袂に脚をからみつかせて、恐ろしい唸り声を立てゝゐる。義実もたまりかねて槍を持ち出し、犬を突き殺さうとすると、姫はそれを押しとゞめ、
「たとひ冗談にもせよ約束をした上は、それを守らねば、この上いくさの指し図をすることも出来ないでございませう。わたしはもうかうした不運に生れついたものと思ひあきらめ、犬と一しよに山へ遁れませう。父上母上も思ひあきらめて下さるように」
と願つた。義実はさすがに返す言葉もない。伏姫は人々の悲しみの眼をあとにして、八房に随ひ、静かに城を立ち出でる。城もうしろに見えなくなると、八房は自分の背に姫をのせ、飛ぶ鳥よりも速く走つて、富山の奥深く駈けていつた。
23
義実夫婦の心には、姫を失つたこの悲しさがいつまでも生きてゐる。富山の奥へは、樵や猟師にも立ち入ることを固く禁じてしまつた。その富山には、人の渡ることの出来ないといふ山川があつて、その向うには、樵や猟師もこれまではひつたことのない秘密の場所がある。伏姫はそこの石窟を住む場所と定め、あけくれお経をよんでゐた。たゞ大事に思ふは、頸にかけた水晶の数珠である。八房もそのお経を聞くものゝように、行儀よく姫の側に坐つてゐた。かうして一年の月日がたつた。姫は近頃病気になつてゐた。この上は親にも逢はず、八房と共に身を山川へ投げて死なうと決心してゐるのである。
24
義実の奥方も同じ頃病気になつてゐた。この上は伏姫に一目逢つて死にたいものと悲しんでゐた。義実は夢に伏姫のようすやそこへ通ふ山路を見た。同じ時に、東条の城にゐた堀内貞行も、殿に随つて富山へ入る夢を見た。義実も今はひそかに伏姫を訪ねて行く心になつた。富山の麓の大山寺を参詣するといふことにして、貞行だけを随へ、ひそかに富山の奥へ分け入つた。
25
話は前へかへる。館山の安西へ米を借りに行つた金椀大輔孝徳は、敵城から危ふく遁れ出たものゝ、安西の陣を突き破つて里見の城へ帰ることもならず、日を過してゐるうちに、安西は打ち滅ぼされてしまつた。金椀はおめ/\と里見の城へ帰ることもならず、一作の親戚の百姓を頼つて、そこに隠れてゐた。城へ帰るについては、お土産に何か一つ手柄を立てなければならない。その時聞いたのが伏姫の話である。大輔は鉄砲を手にして、富山の奥深く忍び入つた。人の渡れないといふ山川も、思ひの外にたやすく渡れた。見るとそこには伏姫が何か物を書いてゐて、側にさびしく犬の八房がうづくまつてゐる。大輔は鉄砲のねらひを定めた。
「どーん」
26
山の霧を動かして一発の鉄砲の音がした。その煙りの中から大輔は飛鳥のようにかけて出て、なほも鉄砲で五六十八房を打ちたゝいた。八房は憐れにも脚下に死んでゐた。さて伏姫はと見返つた時に、大輔は思はず声を立てなければならなかつた。伏姫までが、さきの弾丸の余りに打たれて死に絶えてゐるのだ。大輔はいろ/\と介抱して見るけれど、生きかへらない。この上は自分も腹かききつて殿へのお詫びをしようと、刀を抜き脇腹へ突き立てようとした時に、ふいに持つ手がしびれて刀を取り落した。何人かの射た矢が、刀を持つ手の臂を射かすつたのだ。
「大輔しばらく待て。すべては見てゐた」
といつて木陰から出て来たのは、貞行を随へた殿の義実である。大輔は思はずその前に平伏した。
「大輔、姫も死ぬ覚悟でゐたことは、こゝに書いてあるものでわかるぞ。それにしても可愛そうなのは姫だ」
とおつしやつて、水晶の数珠を押し戴き、伏姫を介抱するに、伏姫は僅に息を吹き返した。伏姫はその苦しい息の中から、死の覚悟をしたこと、死後はこのまゝ富山に埋めて貰ひたいことなどを遺言して、護り刀を引き抜き、腹へぐざと突き立てると、不思議にもその瘡口から白い煙りのようなものが立ちのぼつて、姫の首にかけてゐた数珠を取りつゝみ空中へのぼつたと見る間に、数珠の糸はきれ、小さな珠は地上へ落ちて来たけれども、大きな八つの珠だけはそのまゝ星のような光りを放つて、いづこへか飛び去つてしまつた。義実主従はまことに不思議の心で、それを見送つてゐた。
27
姫の息が絶えた時に、大輔はまたも刀を取つて腹に突き立てようとする。義実は、
「その死はならぬ。この身がそちの身のきまりをつけよう」
と、刀を取りうしろへ廻つて、大輔の首を打つかと見れば、地上に落ちたものは大輔の髪であつた。
28
義実ははじめ伏姫を大輔の妻にする考へであつた。今はその大輔に伏姫のあとを弔はせようといふのである。髪をきつた大輔は、殿の慈愛に感謝しつゝ、その名を丶大法師と改めた。犬といふ字を二字に分けた名である。丶大法師は、飛び去つた八つの玉をさがしに出かけることゝなつた。
29
伏姫はその石窟に葬られた。八房もその近傍に葬られた。義実が山を下る途中で、奥方もまた病の床に死んだといふことをしらせる、いそぎの使ひに出あはなければならなかつた。
30
番作と墓六
31
結城の城が落ちた時、鎌倉管領足利持氏の遺して置いた二人の子、春王、安王は捕へられて、京都の将軍へおくられた。
32
持氏の近習に、大塚匠作三戍といふ武士がゐた。結城の城の戦ひではもちろん勇ましく敵を防いでゐたけれども、主人として奉ずる春王、安王が捕虜になつた今は、京都へ送られる途中でなんとかしてこの二人を奪ひ取らうと考へた。今年十六になつた子の番作一戍を呼びよせ、
「父はもはや老年であるから、いかなる危険をも冒して若君達のあとを追はうと思ふ。この刀は村雨といつて、足利家に伝はつた大事な刀であるが、今自分の手にあるからそちに預ける。主君のあとをさがし求めて、この刀を奉り、持氏卿のあとを立てるように。そちの母と姉の亀篠は、武蔵の大塚の知り合ひの家にあづけて置いたから心配はない。この遺言を決して忘れるな」
といつて春王たちのあとを追つていつた。宿々で奪ひ取らうと思ふけれども、番をしてゐるものにもいさゝかのすきもない。そのうちに京都の将軍家から使者が来て、春王、安王は美濃の国で首を打たれ、首だけ京都へ送られることになつた。今は匠作の苦心もむだとなつた。
33
春王、安王の首が打ち落されるのを見た匠作は、大音をあげてその場へ斬り込み、見る間に首を打つた男の首を打ち落した。それを見た敵の武士たちは、みな匠作を取り囲んで四方より斬りかけ、匠作も憐れにそこで打ち死にしてしまつた。その時また見物の中から、大音をあげて斬り込んで来たものがある。それは匠作の子の番作であつた。番作は春王、安王の首の外に父匠作の首をも奪ひかへして、敵の激しい刃の下を潜り、大勢を斬り伏せ遁れて行つた。
34
番作は山寺に泊つて、そこで坊主の姿をした盗賊を殺し、盗賊に捕へられてゐた女を助けた。この女の父は、自分の父の匠作とも親しい友達であつた。番作はその女と結婚し、それから方々を流浪して歩いた。大塚と名乗つて敵に知られることを恐れ、大塚の大の字に点を打つて犬塚と呼び、諸方に隠れ住んでゐた。
35
管領持氏には、春王、安王の外になほ一人の子供が残つてゐた。信濃の国に遁れてゐたのを長尾判官昌賢が聞いて、諸将と相談し、さがし出して鎌倉へ迎へ取り、関東八州の主と仰ぎ、成氏卿と申した。その後また鎌倉が乱れて合戦が始まり、成氏は下総の滸我に遁れ滸我御所と申した。滸我御所は、昔、父の持氏についてゐた家来たちを集め寄せられてゐる。
36
大塚の地には、大塚匠作の子の亀篠が匠作の妻と一しよにかくれてゐた。亀篠は番作の姉である。けれども番作とは違ひ、心の汚ない女であつた。母が死んだ後に、その近傍にゐたごろつきのような男の蟇六と結婚し、蟇六は大塚の姓を名乗つて自分を大塚蟇六と呼んでゐた。滸我御所が昔の家来を探してゐることを聞いて、訴へて出た。成氏はこんなごろつきを重く用ひるわけにはいかないが、父匠作の手柄を思ひ、村長にして刀をさすことを許し、広い土地を褒美に与へた。蟇六は家を立派にし人をたくさんに使ひ、威張つてみたけれども、根が感心出来ない夫婦であるから、誰一人爪弾きしないものはない。
37
諸方を流浪してゐた忠臣の番作は、貧乏の上に病気となり、大塚の地へ帰つて来た。見れば姉の亀篠が蟇六などいふ男を婿に迎へ大塚の姓を名乗つてゐる。けれども今更訴へて出て褒美を貰ふ考へもない。あたりの人は番作を気の毒がつて、蟇六の向ひの家が明いてゐるのを幸ひ、そこに住まはせてくれた。番作はあたりの子供に手習ひなど教へて、そこで月日を送つてゐた。
38
番作夫婦は滝の川の弁才天にお参りをして、立派な男の子を生んだ。けれどもその前に何人も男の子を死なせた後であつたから、その子に女の子の着物を着せ、名前も信乃とつけて、すべて女の子のようにして育て上げた。またこのお参りに行く途中で、可愛らしい狗の子が途に捨てられてゐるのを拾つて帰つたが、これも立派な犬に育つて行くから、それに与四郎といふ名前をつけ、信乃と一しよに可愛がつて育てた。
39
蟇六の家でも子供が生れない。仕方がなく、綺麗な女の子を貰つて育て上げた。犬を幾匹も飼つて見るけれど、みな与四郎に噛みふせられ、殺されたり片輪になつたりしたので、この上は猫を育てようと思ひ、牡猫を一匹貰つて、これに紀二郎といふ名をつけ可愛がつて育てた。番作の子の信乃はやはり女の着物を着、すべて女の子のようにして育てられた。けれどもすることがどこまでも勇ましく、強い犬の与四郎の背にまたがつて遊んでいる。母親は早く病気で死んで、父親と二人暮らしになつてゐた。信乃は成人して、はや十一歳になつた。
40
村雨丸の銘刀
41
番作の近傍に、糠助といふ百姓が住んでゐる。ある日蟇六の家の紀二郎猫が、その糠助の家の屋根の上で友猫と喧嘩をしてゐて、ころ/\と下へ転げ落ちると、そこには与四郎犬がゐて紀二郎猫に飛びつき、見る間に紀二郎猫を噛みたふした。さあ大へんだ。日頃から仲の悪い番作と蟇六の家であるところへ、こんなことが起つて見れば、蟇六が下男たちをやつてやかましく番作をせめ立てるのはいふまでもない。糠助も仲へ立つていろ/\骨を折るがどうにもならない。信乃は糠助と相談をして、与四郎犬を蟇六の家の門のところヘつれて行き、懲しめに棒で打ちたゝくと、与四郎犬はにげ出して自分の家へも帰らず、かへつて蟇六の家の方へ走り込んだ。蟇六の家の下男たちは、「これ幸ひ」と棒や槍を持ち出し、さん/゛\に与四郎犬を打ちのめし衝きさした。与四郎犬は血まみれになつて、よろよろと家へ帰つて来た。
42
すると蟇六の家から下男が来て、「与四郎犬が蟇六の家の奥座敷へ飛び込み、大事なお役所の書類を噛みちらしたから、そのお詫びには村雨の銘刀を管領家へ献上せよ」といふのである。番作は、かうまで両家の仲が悪くなつては信乃の生長の行く末も心配になると思ひ、自分が犠牲になる気で、腹へ刀をつき立てた。信乃は驚いて父に飛びかゝり刀をもぎ取らうとすると、番作は、
「この村雨丸の銘刀は、お前が成人した後に滸我御所へ献上せよ。この刀を抜き放せば、切尖から露がしたゝり、敵を斬れば斬るほどその水がほとばしつて拳の上に散つて来る。それゆゑ村雨と名がついたのだ。お前はこれから犬塚信乃戌孝となのるがよい。父が死ねば叔父の蟇六は村雨が欲しいし、かつまたお前を養育せねば村の人達が承知すまいから、蟇六も仕方なくお前を養育することだらう。そのことは心配に及ぶまい」
といつて、勇士の最期の力、村雨の銘刀を腹深くつき立て、息は絶えた。信乃もそのあとを追つて切腹しようと思つたが、ふと下を見ると与四郎犬が重傷に死に切れず苦しい唸り声を立てゝゐる。
「お前もお伴をさせてやるぞ」
といひながら、村雨の銘刀で与四郎犬の首を斬り落せば、さつとほとばしる血潮の中から何物か光るものが飛び出した。左手で受けとめて見るに、『孝』といふ字をほりつけた、立派な一つの白玉である。信乃は、昔母から聞いた話を思ひ出した。母が弁才天へ参詣する途中でこの与四郎犬を拾つたのだが、その帰る途でうつゝに神女から一つの玉を授けられると見た。あやまつて取りはづし、玉は犬のあたりへ転び落ちて、それを見失つてしまつたが、さてはその時この犬が玉を呑み込んでゐたと見える。「それにしても今はこの玉も不用だ」と、白玉を庭へ投げ棄てると、玉はそのまゝはねかへつて自分の懐へはひつた。さて早く切腹しようと肌を脱ぎかけるに、左の腕にいつの間にか牡丹の花の形をした黒痣が出来てゐたのは、不思議なことだ。
43
そこへどや/\と、蟇六夫婦と糠助がはひつて来た。信乃は切腹も出来ない。蟇六は、甥の信乃の面倒をこれから見てやらなければならない。蟇六は男の子を持たないし、貰い子の娘の浜路が大きくなつたら信乃と夫婦にし、家と村長の役を譲らうなどとあたりの人にはふれ出して、番作の作つてゐた田などを自分のものに取り込んだ。蟇六の家に信乃より少し年上の額蔵といふ下男がゐたのを信乃の家へつけてやつて、信乃の面倒を見、かたがた信乃のすることを探らせることにした。犬は庭の隅の梅の木の側へ葬られた。
44
額蔵は正直な男である。信乃の探り役には選ばれたけれども、内心では信乃に同情してゐるのだ。ある日信乃にすゝめて行水をさせてゐると、信乃の左の腕にある黒痣が見つかつた。
「妙なものですな。わたしにも同じ黒痣がありますよ」
と背中を向けるのを見ると、いかにも同じ牡丹の花の形をした黒痣がある。さて着物を着ようとすれば、懐から白玉がころがり出る。
「それも妙なものですな。私にも同じ玉があります」
と、額蔵が懐から出す玉を見るに、いかにも全く同じ白玉であつて、それには『義』といふ一字がほりつけられてゐる。これは額蔵の母が下男にいひつけて、胞衣を埋めようと閾の下を掘つた時に見つけた玉だといふ。
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それから信乃と額蔵とは大の仲よしになり、兄弟の約束をした。額蔵の父は犬川衛士則任といひ、伊豆北条の立派な役人であつた。その君をいさめて切腹し、母は七歳になつた子供の荘之助をつれて、安房の里見の家中に知る人があるのを頼つて行く途中、路銀を取られ風雪になやまされ、この村長の家に一夜の宿を求めて許されず、母はそのまま死んで行つた。その時村長の蟇六が荘之助を一生下男にするつもりで引き取つて育てたのが、この額蔵であつたのだ。額蔵は、信乃と兄弟になつた日から、犬川荘助義任と名前を改めた。
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けれど表向きは、やはり額蔵と信乃と仲のわるい様子をしてゐる。そのうち幾年かたつて、百姓の糠助が病気になつた。信乃だけはいつも親切に介抱をしてやつてゐる。糠助は病気がひどくなり、もう死なうとする時に涙を浮べて、
「これはあなたにだけお願ひする遺言です」
といつて、次ぎのような話をした。糠助は以前安房の州崎に住んでゐた百姓であるが、親一人、子一人の貧乏世帯、苦しさのあまり殺生を禁ぜられてゐる浜に網を打つて捕へられ死罪にきまつたところを大赦で罪を減ぜられ、追放せられることになつた。子供を抱いて下総の行徳まで来たが、この上歩いて途に餓死をするよりは川へ飛び込んで死なうと、橋の欄干に足をかけた時通行の人にとめられた。その人は成氏殿に仕へてゐる小役人であるが、子を持たないからそのまゝ糠助の子を貰つて行かうといふ。親と子とはかうして別れたのである。が、その後わが子は、どうして育つてゐるであらうか。この子の目印は、右の頬先に牡丹の花の形をした黒痣のあることだ。それにこの子の生れた後、祝ひに鯛を料理すると、魚の腹から光つた玉が出て、それには『信』といふ字がほりつけられてあつたから、その玉を守り袋の中に収めてある。この子を探し、父糠助のことをしらせて貰ひたいものだ。──
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信乃は聞いて 驚いた。この糠助の子もまた、自分達と同志の人に相違ない。糠助はくらい行燈の下で息をひきとつた。
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根本に犬を埋めた梅の木は大きくなつて、八房の梅を実らせた。蟇六の娘の浜路も大きくなつた。浜路の父は練馬家に仕えてゐる立派な武士であつたけれど、家庭にこみ入つたわけがあり、親の名も知らさず蟇六の子にやつたのだ。その練馬家はこの頃の戦争で滅亡したので、浜路は「多分まことの父も戦死したことであらう」と悲しんでゐる。信乃も立派な青年になつたが、浜路は養ひ親のいふとほり、この人を夫と思ひ定めてゐた。
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円塚山の寂寞道人
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糠助が死んで空き家となつたところへは、浪人の網乾左母二郎といふ男がはひつた。鎌倉殿の第一の近習であつたのが浪人となつたので、まだ若く殿の気に入りであつたから、この後また呼び出されて立身する人である。子供たちに読み書きを教へるのは表向きで、それよりも唄をうたつたりくだらない話に時を消したりするのが好きだから、直きに亀篠に取り入つて、蟇六の家へ出入りするようになつた。
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左母二郎は、浜路をお嫁に貰ひたいと思つてゐた。亀篠も蟇六も、さうなれば自分たちも立身が出来るので、その気になつて左母二郎をもてなした。ところがその頃またこの地の役人が代り、簸上宮六といふ人が来て、この人も蟇六の家へよばれたが、浜路をお嫁に貰ひたいと思つてゐた。左母二郎はまだ浪人だし、宮六は現にお役人で威張つてゐるのだから、今度は蟇六夫婦は宮六の方へ浜路を嫁にやる気になり、「これで立身の手蔓が出来た」と喜んだ。宮六のところからは、軍木五倍二といふ家来が来て、権柄を笠に着、「どうあつても娘を貰はなければならぬ」といふ。蟇六は願つたり叶つたりだが、なほ不承知のような顔をしてゐると、「もう今日結納を受け取つて貰ふつもりだ」といふ。蟇六は「やむを得ない」といふような迷惑顔で承知して、さつそく貰つた結納は、土蔵へかくした。
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さてこの結婚には、信乃を追ひ出し、村雨の銘刀をまき上げなければならぬが、これには左母二郎を使はうと考へた。ふいに左母二郎をたづねた亀篠は、
「浜路を貰つて戴くについては、かうして貰ひたい」
といつて相談するところは、明晩信乃を川狩りに誘ひ出し、蟇六が川へ落ちた様子をすれば信乃も同じく川へ飛び込むであらうから、そのひまに蟇六の刀と信乃の村雨の銘刀とをすり換へて置いて貰ひたいといふのだ。
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相談は出来た。蟇六は信乃にすゝめて村雨丸を滸我御所へ献上するために、旅立ちさせることになつた。その前に蟇六や信乃や左母二郎で川狩りをすることになつた。蟇六は楫取の土太郎などいふ悪い奴を雇うて置く。さて川の真中へ舟が出て、月ものぼらず、あたりは真暗になつてゐる時に、蟇六は網を打つようなふりをして川へ落ち込んだ。信乃と土太郎とが、それを救ひに同じく川へ飛び込んだ。蟇六と土太郎とは信乃を溺れさすつもりで、手を取り足を引つぱり、淵の方へひきずり込まうとするけれど、大力で水練の信乃には、そんなことはなんでもない。土太郎を一町ばかり下へ蹴流し蟇六を横づかみにして、安々と岸へおよぎついた。
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舟に残つた左母二郎は、信乃の村雨の銘刀を抜いて見たが、こんな銘刀を蟇六にやるのは惜しいので、自分の腰刀にしてしまひ、蟇六の刀の鞘の中へは自分の刀の中味を、信乃の刀の鞘の中へは蟇六の刀の中味を入れ、さも村雨らしく、川の水を少しづつ振りかけて置いた。
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信乃は、刀の中味が換へられてゐるとは気付かない。蟇六は、家へ帰つて刀を抜いて見ると、水の滴がばら/\と散るので、いかにも村雨の銘刀だと喜んでゐる。信乃は、朝早く立つて、滸我御所へ向かつた。蟇六はそれに額蔵をつけてやり、途中でばつさり斬り果たすようにいひつけた。
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あとでは、いよ/\浜路と宮六との結婚の祝ひが始まる。浜路はその話を親から聞かされて、寝耳に水と驚いたが、浜路がどうしても承知しないと、蟇六はお役人の宮六に申し開きが出来ないから切腹するなどといつて騒ぎ立てる。浜路は、今はもう死ぬ覚悟で、うはべだけ承知した。蟇六の家では、祝ひで大騒ぎである。浜路は、最後のお化粧をしてゐる。
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この話を漏れきいておこつたのは、左母二郎である。「おのれ必ず復讐してやらう」と考へはするものゝ、斬り込んでみんなを殺してしまふだけの勇気も出ない。
「いつそ、浜路をぬすみ取つてやらう」
と、その夜蟇六の家の垣のくづれから、左母二郎はこつそりと庭へ忍び込んだ。
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築山のうしろに人影がある。それは死ぬ覚悟をした浜路であつた。左母二郎はうしろから、こつそりつかまへて浜路がふせぐ手をおさへ、庭の松から垣の上へ乗りうつつて、うまうまと浜路をぬすみ出した。
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これから祝ひが始まらうといふ時になつて、浜路のゐないことに気づいた蟇六の家は、蜂の巣を突きくづしたような騒ぎになる。飛び込んで来た土太郎に頼んで、左母二郎のあとをおつかけさせた。
「今こゝへ来る途で、見知りの加太郎、井太郎が、駕籠賃のことで何かいつてゐたが、ぢやああれが左母二郎とお嬢さんだ。礫川、本郷坂へ行けば大丈夫」
と、つぶてのように飛んで行つた。
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話変つて、こゝに寂寞道人肩柳といふ不思議な術をする行者がゐた。薪を積んで火をつけ、その上を渡るに、脚を焼かない。人のことを占ひ、病気の祈祷をするが、そのきゝめがあるといふので愚民の中に信じられてゐる。この人左の肩さきに一塊りの瘤があるので、見た様子は、からだが斜に曲つたようだ。今日日没の時に、豊島本郷のあたり円塚山の麓で火定に入るとふれ出した。小屋を建て、その下に大きな坑を掘り、この中へ薪を積み火をつけて、肩柳はそのまゝこの火の坑へ飛び込み命を終らうといふのである。これを火定といつてゐる。肩柳を信じてゐる人達が、雲のように円塚山へ集まつて、肩柳にお賽銭をまいてゐる。肩柳はふれ出した通りの行をして、猛火の坑の中へ飛び込み、見る間に姿を消して行つた。人々は肩柳の立派な行を驚き褒めながら、それ/゛\家へ帰つて行く。あとには火定の坑の残り火がちろり/\と燃え、円塚山はさびしい夜になつた。
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そこへ小提灯が見え旅駕籠が一つ来てとまつた。
「旦那、御約束の場所ですよ。駕籠賃を戴きませうか」
「ばかをいへ。板橋までの約束だらう」
とすぐに喧嘩になつたのは、左母二郎と駕籠かきの加太郎、井太郎とである。駕籠かきも性のわるいごろつきではあるものゝ、さすがに浪人の左母二郎にあつては敵はない。その上左母二郎の手に持つは業物の村雨だ。前後からかゝつて来る二人のものを斬りまくつて、見る間に首を打ち落した。その時また後から抜き打ちにかゝつて来た男は、いふまでもなく土太郎だ。左母二郎も最前少し薄傷をおひ、疲れ気味になつてゐるから、打ち込まれそうになつて行くので、刀を引いて遁げる様子をし、土太郎のすきを見て石をなげると、ぱつちり額へ打つかつた。そのひるむひまにすさまじく斬り込むと、土太郎は「あつ」といふまゝ仰のけざまに斬り倒された。
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駕籠の中の浜路は、もう遁げて行くこともならない。左母二郎は、
「さあ、これから歩くのだ。この俺が持つてる刀は、正真正銘の村雨で、今人を斬つた業物だが、信乃が持つて行つたのは贋刀だから、定めし今頃縛り首にでもなつてるだらう」
といひながら、浜路を駕籠から出すと、浜路はさすがに驚きながらも、「その村雨とやらを見せて貰ひたい」とたのむ。渡す刀を右手に受け取り、打ち返して見るような様子をしながら、
「夫のかたき」
と叫んで、ふいに左母二郎に斬りかけた。左母二郎は短刀を抜いて、それをふせぐ。いかに浜路が力を出しても、女の悲しさ浪人の力に及ぶわけはない。忽ち受け太刀になつて乳の下深く斬り込まれた。左母二郎は村雨を取り返し、だん/\弱つて行く浜路をにく/\しそうにながめてゐる。浜路は夫の信乃がどうなつたかもわからず、悲しくそこに死んで行く身の運命を、苦しい息の下から語つてゐる。
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その時である。ふいに何処からともなく手裏剣が飛んで来るのと、左母二郎が枯れ木のようにたふれるのと一しよであつた。火定の坑のあたりへ煙りのようにして一人の男の姿が現れた。見れば先ほど火定に入つたはずの寂寞道人だが、先ほどの行者の姿とは打つて変り、南蛮鉄の鎖帷子で身を固め、上には唐織りの着物を着朱鞘の太刀を横たへて、悠々と左母二郎の方へやつて来る姿は、善人か悪人か分らないが、一癖ありそうな面魂だ。
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左母二郎の手から村雨の刀を奪ひ取り、火定の火に刃を打ち返して眺めながら、
「聞いたにもまさつた立派な刀だ。これが手にはひつたからには、かたきを打つもやがてのこと」
と感心してゐる。村雨を腰に打ち込み、さて浜路の方へ身を寄せて、もう息も絶えようとしてゐる浜路を助け起す。浜路はぱつちり目をあけて、肩柳の顔を見た。
「残らず話はそこで聞いた。かくいふ自分は犬山入道道策の一子犬山道節忠与であるが、そちは父の話に聞いてゐた母違ひの妹である。家にこみ入つたわけがあり、そちは人の子にやられたが、父入道は池袋の戦ひで練馬家の滅亡とともに打ち死にした。その父の讐を打ち取らうと、自分の家に伝はる火遁の術を用ひ、愚民どもをあつめて火定に入るとあざむき、賽銭を取るも軍用金にあてるため、またこの村雨の銘刀を得た上は、これをもつて敵を薙ぎ立て」
といふを聞いて、浜路は驚く。肩柳が火に姿をかくすのは、犬山の家に伝はつた火遁の術といふものであつたのだ。浜路はこの死に際に、まことの兄の道節に逢つたのは不思議だが、信乃の難儀を救ふには、兄に頼んでこの刀を信乃に渡して貰ふより外はない。
「兄上。死ぬ妹の最期の頼みには、これより滸我へ行き、村雨丸を夫信乃へ渡しては下さらぬか」
「いやそれはならぬ。この身がかたきを打つまでは、この銘刀を手放すわけに行くまい。かたきを打てば用のない刀、犬塚信乃とやらにめぐりあつた時、必ずそれを手渡すであらう」
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妹の必死の願ひも、さすがに今は聞かれなかつた。浜路は憐れに息たえた。
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道節は妹の死を不便に思ひながらも、息たえた上は致し方もなく、村雨を腰に打ち込んで、そこを立ち去らうとすると、
「曲者待て!」
とうしろから呼んで木陰を出て来た人がある。
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芳流閣上の捕り物
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信乃と額蔵とは滸我へ向つた。額蔵はみち/\蟇六の悪い相談を信乃にはなし、自分を信乃の殺し役につけてよこしたことや、浜路の身が危険であることやを語つて、今後の身の相談をした。それにしても心配なのは、蟇六の家に残された浜路の身の上であるゆゑ、額蔵